マグルの世界にやむをえず、わたしは移り住んだ。愛した彼は、もう戻らないと、確信してのことだった。 離れた独房に入れられた彼とわたしの精神はむしろ統合してるかのように思えた。蜃気楼が、暑くもない日でも常に立ち昇るような、そんな風に。 けれどなぜか実際に殊更言い様もない暑さを感じていた。それは、多分わたしがあちらの世界の事を忘れていて、全てをまっさらに帰してしまったからのように思う。 だから、今わたしはマグルの音楽大学にいるのだ。あたかもわたしが以前からここに存在していたかのように。そして、今これを物語っているわたしは、現実の遠い向こう側に存在している。




西陽が強く差す閉鎖された音楽室、まともにチューニングされていないグランドピアノを奏でる。最近、よく思い出せない事がある。 それはきっと、数年前の事なのに、わたしの記憶にはぽっかり穴があいて、それを塞ぐのは他人の言葉なのだ。鍵盤を弾いて、メロディが浮かぼうとも、それは埋められない。振り返りながら小さく笑う君の、リフレインは脳裏に焼き付いているというのに。どうしてそれ以外の事は思い出せないのだ。 陽が、東に差していた頃の事をうまく、映像として思い出すことはできないのだ。ただ、蝉がうるさく鳴く季節、君は勿体ぶったかのように振り向いて、わたしに笑いかけたのだ。




夢に見るあの事、現実では思い出せない。いや、夢で思い出せないのか。現実ではあなたを夢に見ているかもしれない。 夢と現実の境目が分からない今となっては、夢も現実も同じようなものだ。グランドピアノは的はずれな音しか奏でない。 ジリジリとした日差しに浮かぶわたしの白い十本。透明のマニキュアが塗られた爪が、きらりと輝いた。君への想いは確かだったはずなのに、その記憶は最早定かではない。 思い出してはいけないと、脳の神経が信号を出しているのではないかと、疑うほどだ。 死さえも匂わす、饐えた記憶がわたしのどこかで眠っている。科学的にその場所は脳と言われるだろうが、そうではないかもしれない。 わたしの胸に、腕に、脚に、臓物に。それは深く刻まれているのかもしれない。全ては、わたしの知らないどこかに存在しているのかもしれない。 すべてを仮定にしなければいけない程、それはとても曖昧で、不確かなものだ。直感で覚えていても、それは言葉で説明のつかないものだ。 白昼夢を見ているわたしにとっては、全てが虚構の上で成り立っているのかもしれない。その現実は、虚構のを元に作られていて、現実性は虚構を見せるためだけの虚構に過ぎないかもしれない。作られた現実とは、また虚構と言えるだろう。




無口であるわたしには、誰も近寄りがらなかった。わたしも、それが楽だし、何もわからない今となってはそれでいいと思っている。 遠くで誰かが自分の事を見つめているのはわかっている。それが、きっとわたしの記憶の穴なのだ。けれどわたしの記憶の領域内に、その穴を見つける事はない。 わずかにあった音楽の才能だけが、ここでのわたしの存在意義を作り、ここでの現実のわたしを生かしていると言っても過言ではない。




わたしの頭の中の会話だ、それがあなたの現実でなくてもいい。これがあなたにとっての、夢の世界の出来事であってもいい。 虚構というのは、君の現実と対比してようやく虚構として成り立つ事ができるのだから。 そしてこの虚構は、わたしにとっては、一つの事実に過ぎないのだから。




わたしが語りかけている、あなたという存在が、虚構の世界の住人なのか、それとも現実の世界の住人なのか、それさえも分からない。そしてどちらの世界が、どちらなのかも。西陽が強く差す音楽室、ポーンという音が鳴り響く。それはわたしの中の虚構に寄り添う、とても心地よいようで、調律の外れた、とても不愉快な音色だ。 しかしこの音もまた、わたしの事実の一つに、過ぎないのだった。














解説:シリウスの恋人が、乖離性同一障害を起こしたおはなし