『ブラック』

それが俺の与えられたファミリーネームだった。

『シリウス』

これは先祖から引き継いだものだ。曾祖父さんの名前だっけ。 チラリと目に入る、壁に這うような家系図。俺はこの家が嫌で嫌で仕方がなかった。

これは俺がホグワーツに入学する前、そう、まだほんの子どものころ。 俺はこの家のしきたりすべてに嫌気が差していた。小さなパーティに参加するのも、またそのしきたりの一つであった。 なにせ、純血は互いの血やコミュニティの繋がりが何よりも大事だからな。着たくもないおろしたてのドレスローブを来て、大人のつまらない会合で大人しく。子どもなのに、大人しく。全く一体全体こんな狭い世界の何が楽しいというのか。

クソババアどもが宝石をギラギラ着けてバカバカしいお喋りを楽しんでいる間、黒の喪服のようにローブを着ている少女が大人たちの間から見えた。どうして喪服のように着ているように見えたかって?その子が生きた心地もしない、そんなような青ざめた顔をしていたからだ。

俺は母親の目を盗み、弟の呼ぶ声も無視し、連中を掻き分け、その少女のところになんとかたどり着いた。 けれどその子は話しかけるのも憚れるほど、真っ青な顔していた。

「……具合が悪いのか?」

なんとか振り絞って出した声だと、俺の方が具合が悪いように思えた。少女は一瞬俺に話しかけられたのに気付かず、少し間を置いて俺に振り向く。やはり、その顔は青ざめていて、本来は陶器のように艶のあるであろう肌は血の気がなかった。

「……いいえ、すこし。緊張してしまって」

それだけ彼女は言うと立ち去ろうとした。だが、俺はなぜか彼女が今にも死んでしまいそうで思わず腕を掴んでしまった。 驚くほどに、その腕は細く冷たかった。

「…俺が一緒にいるよ」

長い巻き毛で見えなかった瞳が俺の顔を映す。ようやく、顔が見れた。死人のように、それは冷たい表情だったけれどなぜか美しいと、俺は思ってしまったんだ。

「わたしといると…よくないわよ」 「俺といるのだって正直良くない。こんな馬鹿げた会合まっぴらごめんさ」

その子は硬い口の端を少しだけ上げた、ように見えた。表情でさえ、誰かに奪われてしまっているかのようだ。俺は彼女の腕から手を離し、やはり冷たい彼女の手に体温を分け与えるかのように自分のを重ねた。少しだけ彼女の肩がびくりと震えた。でも、彼女は何も言わなかった。

「俺は、…シリウス。君の名前は?」 「……わたしの名前なんてきっとすぐ忘れてしまうわ。きっと、誰も何も思い出さないんですもの」

俺は彼女が言っている意味がよくわからなかった。ただ拒絶されたということはわかる。だからそれ以上何も踏み込まなかった。そして、これ以上互いに口は開かなかった。その会合が終わるまで、ただ手と手を重ね合わせていた、その事実だけ覚えていた。

その後のパーティで彼女に会えることは二度となかった。そして、組分けの時に俺はもちろん彼女の姿を探した。学年が違かったとしても、1つか2つ程度だろう。彼女の方が幾分か年上に見えなくもなかった。けれど、どんなに探しても探しても彼女はいなかった。だから、俺はその大切な思い出を手放すことにした。彼女が年下かもしれないと思って4年生に上がった頃まで探し続けていたけれど、やっぱり彼女はいなかった。





そしてまた何年か経ったあの日。俺はジェームズといつものようにバイクでグイグイスピードを上げてやんちゃをしまくっていた頃だ。マグルの世界へ、夜の街へ。マグルの世界は魔法界とはまた違ったクレイジーさがある。俺はすごく気に入っていた。パブで好きなだけ酒を飲んだし、タバコにだって手を出してみた。体の底から腐っちまうヤクには手は出さなかったけれど。バイク用品ばかり眺めてばっかりの俺はジェームズが寄りたいという、女の子が群がりたがる雑貨屋に入っていくのに耐えられず、タバコを吹かしながらバイクに寄っかかりロンドンの街並みを眺めていた。街灯が湿ったレンガを照らし出している。俺は入口でエバンズのプレゼント選びにどんだけ時間かかってんだよ、と一人ごちりながらイライラしていた頃だった。

「昔、わたしの手を離さないでそばにいてくれた人がいてねーその人のことだけなんだか忘れられないんだー」

店から出る女の声をつかまえた。何となく、その姿には見覚えがあった。なぜだか気になって、俺はタバコを足で地面に躙って、怪しまれない程度の速度で二人を追いかける。あの、彼女なのだろうか。雰囲気があの時と少し似通っている気がする。自分でもどうしてそう感じたのかは分からない。あの頃もそうだった巻き毛はたっぷりとしていて、昔よりも肌は色味を帯びているような、そんな気がした。それはもしかしたら街灯の光のせいかもしれない。

「それ彼に言ったことあるの?」

連れの女が言う。

「やだ、言わないわよ。ただの思い出ってだけで、何となく今日思い出したから話しただけ。でも、その男の子、星の何かの名前だったかなぁ…オリオン…?あんまり覚えてないんだけど。世界が違うからって思っちゃって。ほとんど話さなかったんだー」 「忘れられないって言うからどれだけ大事な思い出かと思ったらそんなもんなのね〜」

俺はその時もうこれ以上思い出を追いかけないでおこう、という自己防衛本能が働いたのが分かった。そう、それはもうあの時にわかっていたじゃないか。

彼女は、大きなダイヤの指輪を左薬指にギラつかせて、連れの友人とロンドンの街並みへと消えていった。