接待で訪れた歓楽街の宿で、上司の相手は局長と侍らした芸子にまかせ、土方は喧騒から少し離れたところに落ち着いていた。気を使った芸子が土方に酌をしようと寄ってきても断り、ひとりもくもくと手酌していたのだが、最後に近寄ってきた芸子のひとりを見て土方は酒を吹き出しそうになった。そんな土方を見て芸子はくすくすと上品そうに微笑むと、三つ指突いて頭を下げる。
「土方はん、おひさしゅう。ようこそ、おこしやす」
 はんなり、という言葉が似合う、艶めいた声と仕草。信じられない気持ちで、土方は結った髪にささるかんざしがまた元の位置に戻るまで眺めていた。芸子が差し出した猪口を受け取ると、ようやく目の前の現状を飲み込むことが出来が、しかしやはり信じられない。
「お前……か?」
「ふふふ、驚きました? 土方さん」
「驚くも何も……こんなところで何しているんだ」
「今はやのうて、一花ゆう名で仕事しております」
「下手だ、やめろ」
「あら、これでも一生懸命、芸子の言葉遣い練習してるのよ。相変わらず、意地悪な人ね」
「働いてるのか、ここで」
「土方さんらしくないわ、馬鹿な質問は止して。見た通りよ」
「日野の……里の母はどうした」
「死にました」
 つんと唇を尖らせて、澄ましたままは言ったけれど、と母を知っている土方には無理をしているようにしか見えなかった。しかし酌をする手つきはこなれたもので、土方には、昔、土方や近藤、沖田が住んでいた道場に出入りしては母に連れ戻されていた、あのお転婆な小さい娘とは思えなかった。
 は試衛館の道場の近所に病弱な母と暮らしていた。土方が来る前から道場に入り浸っていたらしく、近藤には妹のように可愛がられていたし、沖田もには兄貴風邪をふかしていて仲が良かった。土方たちが江戸に行く日は付いて行くといって聞かないのを母に引き止められていたのを、昨日のことのように思い出す。しかし、あれから幾年経っただろう。はすっかりと女になっていた。
 土方が黙り込んだのを見て微笑むと、は歌うように呟いた。
「花に嵐の例えもあるさ、さよならだけが人生だ」
「なんだ、急に」
「唐の詩の、井伏鱒二の訳ですよ、土方さん」
「花に嵐の……何だ」
「花に嵐の例えもあるさ、さよならだけが人生だ」
 さよならだけが人生だ。土方は胸の内で呟きながら、猪口を煽った。局長はに気づいているのか気になって、盛り上がっている座敷の奥へ視線をやるが、局長は酔って笑い上戸になっているらしく、の存在には気づいていないようだった。
「だとしても、どうしてこんなところに」
「あなたを追ってきました」
 土方がぎょっとしてを見ると、またもやはくすんと笑った。
「……って言ったら、困る?」
 土方は安堵ともとれるため息をつくと、肴を箸でつつく。
「冗談はよせよ、寿命が縮まった」
「安心してください、そんなことは言いませんよ。でも、ねえ、土方さん。仕事はみんな天人にとられてしまうし、女が一人で生きていくとなると、あんまり職は選べないんですよ」
「里に、誰かいくらでも、いいひとは居ただろう。そこに嫁げばよかったんだ。そうしているものとばかり、」
「相変わらず、酷い人」
 ぴしゃりと、続きを打ち消されてしまう。に睨まれた様な気がしたが、土方は気づかない振りをした。座敷の奥から、どっと笑いが起こり、芸子の軽やかな笑い声が響いてきて、土方とは何気なくそちらに目を向けた。
「近藤さんも、相変わらずね」
、お前一人ぐらいなら近藤さんと相談して養うことが出来る。道場ではお前はみんなの妹だったんだ。屯所での女中の仕事だって、ここよりは」
 ましだろう、と続けようとして、の瞳に黙らされた。が、まだ年若いおなごには似つかわしくない、酸いも甘いも知り尽くしたような老成した瞳をしていることに、土方は気づいた。
「土方さん。わたしたち、きっと、あの日から、もう別々の道を歩んでいるんですよ。わたしを置いて、みんなで江戸に行ってしまった日から、別々なんです。本当は、あなたを追いかけてきたつもりだったの。でも、別々だったんですよ」
 は寂しそうに、そう口にした。白粉の頬に、ちょこんと赤く染まった口。派手な着物は、たしかに泥だらけだったあの頃のとは違う。けれども、土方には、が気丈に振舞えば振舞うほど、見ていて痛々しく思った。
 土方がどうしていいのかわからずの伏せた顔を見つめていると、奥の座席の、芸子達が立ち上がり始めた。局長と上司はまだ笑いあっているが、そろそろお開きなのだろう。
 局長に相談して、を身受けるのは簡単だ。しかし、そうしてはいけないような何かがの纏っている雰囲気にはあった。もう、あの頃の小さなではなく、一人の女なのだということが、土方の一番受け入れたくないことだった。 
「この盃を受けてくれ。どうぞなみなみつがしておくれ。花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ」
 は歌うように口ずさむと、土方の猪口に酒を注いだ。土方はそれを飲み干し、立ち上がった。ぼんやりとした頭でを見下ろすと、はまたきれいに三つ指付いて、にこりと微笑んだ。しゃん、と揺れるかんざしが、頭の片隅に響く。
「土方はん」
 ぐっと、土方との距離が離れた気がした。客と、芸子。一瞬にしてが消えて一花になるのを、土方は感じた。
「またおこしやす」
 ――さよならだけが人生、か。
 あでやかに笑う女は、もう土方の知っている女ではなかった。感傷的になっているのは、きっと、酔いが回っているせいだ。さよならだけが人生。土方はもう一度繰り返すと、何者でもない、ただの、歓楽街で生きる女の横を通り過ぎた。













2008 9/16 さよならだけが人生だ / 一花ちゃんへ!