あの時笑顔で君は私に言ったはず、「リーマスは青が似合うね!」って。そんな君の笑顔はいつまでも私の心にこびりついて離れないのに君はもうそれを覚えていない。あの時私達が出会ったメロドラマのようなベタなシチュエーションだって君はもう、覚えていないんだろう。










* * * * * *











私は日雇いの仕事を探す為に、いつものように日が沈み夜が静まり返った頃求人情報誌を気だるげにめくる。そう、私は普段通り仕事を探していた。マグルの仕事だと魔法界の仕事よりは幾分かは働きやすい。別に私が狼人間だとおおっぴろげにしたって普通マグルはそれを信じたりなんかはしない。ただ、私にはマグル界での学力の経歴というものが存在しないのだから仕事を探すには少々手間がかかる。魔法界に比べれば随分と探しやすい方だけれど。今回の仕事は割と長く続いた方で一ヶ月程二流レストランでのウェイターを務めた。食いつなぐ為には金額や時間などに拘る暇もなくただただ肉体だけを盛んに動かしてやっとの事でお金を手に入れる、それが私の生き方。騎士団で仕事を任された時にはそれを優先しなくてはならない。何故なら私達不死鳥の騎士団は暗黒時代を生きる私達の信念に従い、平和をこの世に求める集団なのだから。



ジェームズやシリウス達と会える日も少ない。私は働き通しな生活にいつしか虚無感を抱くようになった。コーヒーに砂糖をたっぷり加え、ミルクを注ぐと苦い香りにまろやかな乳製品の独特な香りが辺りを漂う。普段は紅茶派の私だけれど、何故だか今日はコーヒーのようなコクのある何かを体が欲していた。きっとそれは何かの予兆だったのかもしれない、と今だから思う。ばちゃ、と何やら人手が少ない寂れたカフェにそぐわない音を耳にした後、私の服がじんわりと茶に染まっているのに気がつく。布がぴったりと張り付いて冷たいせいか心なしか鳥肌が全身を襲った。今はまだ9月の上旬だけれど店内にある古そうなエアコンががたがたと音を立ててひんやりとした風を送る。私は暫くぼんやりと茶色がかった部分を見つめていると小さい呻き声が微かに耳が捉えた。声の元を目線で辿れば小さな女の子がトレイをひっくり返し、その下にパウンドケーキを下敷きにしていた。




「う・・・うぅ」




私は彼女のそんな様子が少し不本意だが面白おかしくて彼女が立ち上がるまでの動作を見逃さないように捕らえる。彼女は頭を抱えながらその呻き声を再び口にしていたがすぐに私の服にかかった茶色い液体に気がつくと顔を真っ青にしてこちらに駆け寄ってきた。




「あ、あの本当、その、ごめんなさい・・・!」




彼女は黒檀色をした大きな瞳を揺らしてまごつく。あまり見た事がない彼女の風貌に私は無意識にじろじろと目を動かして彼女を観察してしまっていた。それに気がついた彼女は怯えながら顔を強張らせて、




「あの、服の弁償はしますから・・・えっと、あの・・・」




と尋ねる。私はその言葉にはっとしてすぐに返答をした。




「あぁ、いいんだ。どうせ買い換えようと思ってた所だし。」


「いえ!あの、本当に弁償させてください・・・!」




少女はか細い声を張り上げると顔を真っ赤にしてトレイとパウンドケーキを拾い上げる。私はその危なっかしい手つきを見ていられなくて思わず手を伸ばし潰されてぺちゃんこになってしまったパウンドケーキを片付けるのを手伝う。彼女はいいんです!と遠慮の色を示していたが何故だか放っておけなくて彼女の意思に反して結局は手伝いの手を止める事はなかった。


彼女は多分、東洋人だろうと私は確信していた。オリエンタルな雰囲気はまさにそのものであったし、小柄だけれど艶を放つ結い上げられた黒髪がまさにそれと表していた。東洋人を見るのはあまり珍しい事ではなかったけれど、彼女のような不思議な雰囲気は私は今まで見た事がなかった。少女のように林檎色を頬に差していたがどうやら彼女は少女ではないらしい。そもそもこんな時間に両親の付き添いもなく、カフェに子供一人でいる方がおかしい。




「手伝ってくださってありがとうございます・・・」


「気にしなくていいよ、私が勝手にやった事なんだから。」




私は気兼ねなく彼女に伝えると安心したのかふぅと一息ついたのが目に見えた。正直者、と言えばまさに彼女のような人かなと心内で思う。



「その、これからお時間とかあったりします?」




彼女は先ほどよりはいささかはっきりとした口調で言ってのけると私は当たり障りのない返事をする。彼女はそれをイエスと解釈したのか私の隣の席へと着いた。ふわりと苺の香りが一瞬私の鼻を掠める。




「あっ・・・名前、言わないで失礼でしたね。わたし、って言います。。」


「私はリーマス・ルーピン。君は時間、大丈夫なのかい?」


「はい、今まで残業だったんで・・・えっと、わたし大人に見えませんよね、びっくりしました?」




は手を小さな手に髪を絡めて私を見上げると彼女の小ささがありありと分かる。椅子に腰掛けていたとしても彼女と私の身長差は明らかで、そのせいで彼女と話している自分は親子のように周りからは映っているかもしれないと不思議と顔が綻んだ。私が口を開く前に彼女はそれを返事として受け取ったようで再びその頬をピンク色に染め上げて顔を伏せた。




「じゃぁ、行こうか?」




彼女にそう声をかけると、伏せていた顔を勢い良く上げてはい!と可愛らしく返事をした。







彼女の歩調に合わせて半歩後ろから着いて行く。の歩調はゆったりとしていて、それでいて跳ねるような軽やかさでイギリスの街道を辿る。それがの性格を表しているかのようで、私は本当に小さな子供を相手にしているのかという錯覚とこの雰囲気は嫌いじゃない、と私には珍しく他人に興味を持った。

暫くすると、大通りから外れて脇の小道に入ると小さな店達が疎らに並ぶ。統一感がなくて、個性それぞれが際立って見えた。でも不思議とそのまとまりのなさが小道に落ち着きを与えていて不思議と不快ではない。奥の方に建つ少しこじゃれたブティックに着くと彼女はにこにこと笑いながら私を店へと促す。明らかにこの時間に開いているはずのない店私はどうやって入ろうというのか。




「ここ、わたしの店なんです。今鍵を開けますから。」




そうやって機嫌良く言うと変った形の鍵をバッグから取り出してかちゃかちゃと音を立てながら木製のドアを開けた。薄暗い店頭の中目を懲らすと並びが何となく形だけを象って見えた。は駆け足で店内の奥へと向かうと、ぱち、との音と共に店内の電気が一気につけた。こちらへ駆け戻ってくると、ドアに再び鍵をかけ彼女は得意そうな顔をして私へと振り向く。




「君の、店なんだよね?」


「はい!」




がいかに自分の店が好きなんだと窺えた。綺麗に配置された服はどれもセンス良くて店が繁盛している証拠だと私は確信する。男物をメインとしているのか、店内は男性に好まれるような造り方になっていて、その日の食料にありつくのが必死で洒落たことに興味がない自分さえも好感が持てる雰囲気だ。




「ルーピンさん、お好きなの選んでください!」


「でも、いいのかい?」


「はい!一応、わたしこの店の店長なので。」


「・・・そうなんだ。でも、私は服を選ぶセンスなんて・・・。」


「・・・じゃぁ、わたしが仕立てましょうか?」




は遠慮がちに私を見ると、頼むよと一言告げた。どうせ服を買うお金などに余裕などないので素直に彼女の好意に甘える。普段、警戒心を解かない私にとっては自分でも希有な事だった、とつくづく思う。きっと彼女の純粋さが自分の心の「警戒」という名のバリケードを突き破ってきたんだろう。が私に服を選ぶ様はとても真剣そのもので先ほどから見ていた様子とは全くの別人のようだ。小さくぶつぶつと呟くその様子は少し不気味ではあったけれど、彼女のその直向さがいかに服への愛情を込めているのだと手に取るように分かる。




「うーん、これもかなぁ・・・ううん、このアーガイルのセーターはちょっと・・・うん、でもこのコントラストは似合うかな・・・」




私はそんな様子が面白くてついつい彼女を観察してしまう。彼女の眼差しは至って真剣で、そんな彼女をこのような類の意味を含んだ目で見るのは失礼かもしれないが彼女の行動は小さながらにも一々目についてしまうのだ。その瞳は黒いコガネムシが明かりのおかげでフィルターがかったような店内を飛び交うように忙しなくきょろきょろと働いている。




「これ、いいんじゃないですか?」




はいくらか経った後、私にそう告げると彼女は青いシックな色のシャツを手に取り私に押し付ける。彼女の手からそれを受け取るとそれは普通のシャツの生地ではなくて、デニムでもない、フォーマルな生地のシャツでもない。カジュアルに着こなせるしスーツを羽織っても着れそうな服。私は彼女に促されるまま試着室に入り、袖を通すと自意識過剰とかそういうんじゃなくて何だか自分にもしっくりする服だった。




「あ、いいじゃないですか!やっぱり、似合う。」




は自分自身で確認するように何度も頷くと満足そうに顔を綻ばせる。




「失礼だけど、さんっていくつなのかな?」




私は上手く言葉が見つからなくて、途端に彼女のその自己満足を遮るその一声は何だか上ずっていて情けなくなった。けれど彼女はそんな私の様子を幾らも気にしてない様子で、しかし初めて会った時のように手をもじもじとさせて小さく声を上げた。




「あの、21歳です・・・・けど。見えないですよね?」




彼女は物怖じしながらそう答えると俯いてしまう。私はその時は自分自身が大人に見られる機会が少なすぎて自分に自信がない人なんだという事が分かった。でも彼女のその自分の好きな事を追いかける姿はどこまでも子供らしくて、でも対照的にこの世界を生きる彼女はなんて大人らしいと思ったんだ。




「いいや、君は立派な大人だと思うよ。それより、同い年なんだからせめて敬語をやめたらどうかな?」




するとは嬉しそうにはいっと返事して。私は今気がついたけれど、彼女と距離を殆んど置いていない事に気がつく。敬遠の態度をジェームズ達以外の魔法使いでもマグルにでもとっていた私が知らずのうちに彼女との距離を近づけていた。次に会う予定なんかも成り行きで決まってしまって、今になって思うと本当にあの時は自分にしては何という失態だ。けれどその時私は自分の犯しているミスに気がつきもせず彼女に会う日はすぐに訪れた。それは、ハロウィーンの前日の夜の事だった。










* * * * * *











私はその日彼女に選んでもらった服を着ていった。なぜならまともな服をこれしか持っていないからだ。他のローブを買うには服もないし、がくれた服だけが唯一着ていけるものだったからだ。とはこじんまりとしたパブで会うことになり、そこへと赴く。行く先はが決めたものだが彼女はセンスが本当に良いらしい。そのパブも何となくおしゃれな雰囲気で、私には決して場違いだろうなと思うと不思議と苦笑が零れる。窓際の人の目につきにくい席に彼女は座っていて、は前よりも少しめかしこんでいるように見えた。お互いの時間の都合に合わせて私達は夜遅くに会う約束をしていたので店内から見える景色はロンドンの夜景がいっぱいに広がって見える。そんな恋人達のムードらしいものに私はいささか酔ってしまっていたのかもしれない。




「リーマス!」


「ごめん待たせたかな。それにしても君、パブなんかにいて怒られたりはしなかったかい?」


「わたしは立派な21歳ですけど、リーマス。」




は怒った口調で言うと私は何だかそれだけでも居心地良くて小さく笑った。は先ほどの私の発言にいささか不満なようだが少しするとぱっと顔を輝かせて私にその愛らしい笑顔を向ける。




「やっぱり、リーマスは青が似合うね!」




私は甘かったのだ。自分自身に甘えていた自分はこの仕打ちを受ける事となる、当然の報いだ。気がついた時にははっきりとこの感情を自覚してしまっていて、彼女のその夢心地のようなとろりとした黒曜石の瞳から目が離せなかった。彼女が必死に自分の好きな事や他愛のない話をするのを見つめていたがの話なんてちっとも耳に入っていやしなかった。けれどはそんな私に怪訝そうな顔を向ける事なく話を続ける。

すっかり夜も更け、日付もすっかり変ってしまったという事に気付くとは私の気がつかない間に勘定を済ませようとしていた。私はそんな余裕もない事を分かっていても彼女にここまでお世話になるなんて、という羞恥心から勘定は私が済ませた。



ロンドンの地下鉄へと続く道のりを歩いていく私達の姿は親子も同然だった。周りからそう見えても本人達は気がつかないほど大人としての成長を進めているというのに。ひたすら夢を追いかけるの姿は子供だったかもしれないけれど仕事に対する情熱は少なくとも日雇いの仕事にかじりついて生き延びるのに必死な私よりも大人であった。




「わたし、パリコレとかに服を出すとかそんなのはいいの。ただ、服を着るだけで幸せを感じ取ってもらえるようになりたい。」




彼女のその瞳は幾らか熱いように見えた。夜の明かりが照らす影は幻影のように見えてどこか自分さえも夢見心地だ。そっと手を伸ばそうとすると、彼女の細い肩が今にでも届く。そんな事を考えていた矢先、白い霞が私の目の前に舞い降りてきたと思ったら     







言わずとも知れた数少ない親友の慟哭のような叫び声だった。パトローナスは私にそう伝言を告げると瞬く間に消えてしまった。私は隣にがいるのも忘れて口を開けてそこへ茫然と立ち尽くす。先ほどの不思議な現象と私の様子には不審に思ったのか私の洋服の裾を引っ張る。黒い瞳がこちらを覗く。しかし、私に彼女の行為に対応できるほどの余裕はなかった。しばらく空虚を見つめていると、は痺れを切らしたのかもう!と声を上げる。

その時、私はに魔法を見られたのを気がついた。シリウスも相当慌てていたのだろう、マグルの前でのパトローナスを使用なんて彼らしくもない。そして私は気がついた、今すぐ本部に向かわなければ、と。彼女に見られた魔法の記憶の修正を施さなければ、と。皮肉にも私の心は茫然とは裏腹にどこか冷静には考えられた。心の隅にはという女性の名前が片隅にあったけれど魔法を見られてしまった今、彼らの死がそれらを遮断させてしまっていた。に振り返った垣間見た彼女の笑顔を脳裏に焼き付けながら取り出した杖を突きつけ彼女の記憶の一部を抹消した。気を失ったはそのまま湿ったロンドン街の道に倒れ、近くにあったベンチへと体を運ぶ。何の余韻に浸ることもなくただ焦りととてつもない恐怖を冷や汗と共に流しながら私は闇夜に音を立てて溶けた。









* * * * * *











あの後はどうしたのだろう。記憶は私に関する事全てを消してしまった。もし覚えていたとしたら私があんな危険な街に置き去りにした事を怒っていただろうか。それとも何とも思わずただの不思議な出来事の一貫として受け流してしまっていただろうか。しかし彼女はそれを覚えているはずがない。あれからもう、14年も経ってしまった。私もあの頃に比べて相当老け込んだ。あの後のあの人は、未だに子供みたいだと周りからはやしたてられているのだろうか。それさえも私には分からない。



青いシャツは今は洋箪笥の奥にしまわれ、着られる事は殆んどない。あの服を汚してしまうとあの思い出さえも汚してしまう気がした。けれど、今の君にはもうどうでもいい事だろう。私の中では鮮明に残っているあの夜の記憶は君はもう覚えていない。私がこのシャツを大事にすればこの思い出は消える事はないと信じたい。けれど、いつしかこのシャツは年月により襤褸になって色も褪せてしまうだろう。その時は、






このおもいでまで、
きえてしまうのかなぁ














(入稿071201・修正081001)