湿っぽい部屋だ。窓が開いているのにも関わらずここは空気が悪い。軋む扉を開いてそう思った。ここには人間の狂気のような何かが立ち込めていた。


「気分はどうだい、。」


「うん、上々よ。リーマスは?」


弾むように答えるその声からはそんな毒気に中てられたニュアンスは聞き取れない。しかし、彼女は正にこの狂気に中てられているのだ。もう一月になるのか、あいつが死んでから。


「食事はもう済ませたの?」


「ああ。」


そして随分と彼女は食事を取っていない。もとから白い肌が更に青白く不健康に際立って見える。適度に細かった腕も首も全てがみるみる痩せ細っていき一本の線がそこに佇んでいるかのようにも見えた。カーテンに遮られ、漏れた明かりがより一層、の細やかな身体を不気味に照らす。まるで瘴気にさらされているようにも見える。は粗末なドレッサーに置かれた櫛を手に取り緩慢な手つきで美しい彼女の自慢の黒髪を絡め取ってはといてゆく。妖しい動きだ、と私はぼんやりと考えていた。きっとの瞳が、以前のように烈々とした炎を滾らせて溌剌とした表情でいたらどんなに華々しく見えただろうか。


「ねぇ、。・・・この前の死の間での事だけど」


「死の間?・・・あぁ、神秘部?神秘部がどうかしたの?」


ほら、また。そうやって君は私を一人にする。あの時の出来事がなかった、いや有り得なかったことのようにはいつも振舞う。私とダンブルドア以外の騎士団員は最早、彼女のことを諦めている。いや、もう私でさえも諦めているのかもしれない。遠い世界の住人となってしまった彼女を指を加えて見ていることだけしか出来ない私はもう彼女の取り巻く恐怖の全てが恐ろしくて逃げようとしている。


「今日は天気が良いわねぇ、リーマス。ね、シリウス連れて散歩に行っちゃおうか。」


勿論犬の姿に鎖をつけて、とくすくす笑う彼女に私は微かに笑む。第一今日は晴れてなどいない。ここのところずっと曇っていて、あまつさえ今日は雨も降っている。そして第二にシリウスは、いない。彼女は冗談めかしっぽく言ったつもりだろうが本心では至って本気なんだとは承知の上だ。それとも彼女はこの湿っぽい天気を良い天気だと称したのだろうか。


「窓は閉めないのかい?雨が入ってきてしまうよ。」


「あら、だってこっちのほうが換気が良いじゃない?こんなに空気も澄んでいることだし。」


あぁ、彼女は陽の有無でさえ分からなくなってしまったのか。一体何がどうしてこうなったのか、私にも分からなかった。ただ私は古びた屋敷の一室にぽつりと突っ立っていて、はふわりと笑っては有ること無いこと口にする。











*











誰がこんなに日常と一変したおぞましい時を望んだのだろうか。そしてはおぼつかない足取りでそろり、そろりと窓辺へ近づく。ただその時の私はぼうっとが踏みしめたカーペットの模様が乱れるのを見つめるだけだった。


「あ・・・・・・いる、あそこに。」


僅かに開かれた窓に手をかけ大きく開いてゆく。雨の粒がひたひたと降り注ぎじんわりと床に染みた。の下へと駆け寄ろうとしたのに何故か足が動かない。息をするのもままならない。金縛りにあったかのように私は瞬き一つするのも許されず口がカラカラと乾いてゆくまま彼女の不思議な挙動を見つめなければならなかった。


「ねぇ、リーマス。あそこに、いる・・・・・いるの。見える?」


「・・・そうだね、どうかな。」


そう、曖昧に答えるのがやっとだった。が何を指しているのかは分からない。ただ、それを否定したら彼女の何かが壊れてしまうのは分かっていたのでやんわりと、言う。は窓の際に足をかけ、こちらをちらりと覗くようにふわりと再び笑いかけた。


「手伸ばしたら、届く・・・かしら?」


そして窓の際にいた彼女は消えた。私はその時は窓から羽ばたいていってしまったのかと思った。空を覆う灰の雲を眺めているとグシャッと遠くに音が散らばった。彼女の羽はもがれてしまったのか、それとも雨の湿気で役立たずとなってしまったのか。あぁ、シリウス。をこんな風に変えてしまったのは私のせいだ。闇に閉じ込められ、君の影を追う内にすっかり死神に取り付かれ、不確かな何かを手にすることを夢見、哀れな死に方をさせてしまったのはこの私だ。あの時私が君の話を持ちかけなければ。あの時私が彼女を腕を引いていたら。あの時、あの時、と思う気持ちは止まない。




ごめん、ごめんよシリウス。







おぼろげに見えた、三日月を仰ぎ独り涙を流しながら懺悔する。