が風邪をひいて学校を休んだ。仕方がないので部活帰りに、お見舞いの林檎を携えて彼女の家へ行く。パジャマ姿で俺を出迎えたは、家族がまだ帰宅しておらず、お腹が減ったから今すぐ林檎が食べたいと駄々をこねた。仕方がないので、慣れないよその家の台所でなんとか林檎の皮をむき、適当な皿に林檎とフォークを乗せての部屋へ戻る。林檎を見たは、風邪なのにもかかわらず敏捷な動作で飛び起き、引き出しをあけると大量のばんそうこうを取り出して熱心に俺の指に巻きつけ始めた。
「包丁使えないならそう言ってよ」と何故か俺が叱られた。皮を剥いたのに、まだ赤く染まっている林檎をどうするのか聞かぬまま、彼女の家を出た。
帰宅してから何度か手を握っては開いてみた。血の量は多かったが傷自体は縫うほど深いものではないし、部活にも影響は出ないだろう。
あの時さんざんテニスプレーヤーなのに手を傷つけるだなんてとに俺は小言を言われまくっていた。せっかく皮を剥いてやったのに、なんだよ。しかし自分が風邪引いてくれるくせにこっちの心配をするだなんてもバカだ。俺はふ、と小さく微笑む。しかしそれがまさか大変な事態を巻き起こそうとは思いもしなかったのだった。次の日、俺は朝練のため早くに家を出た。一番乗りで着くコートは人がおらず、爽快だ。体を軽い体操で慣らし、最後にストレッチをする。ラケットを握ったが、手を切った場所に違和感はない。俺はその朝、特に何も気にすることなく、自主練のメニューをこなしていった。少し経つといつも俺の後、2番目にくる鳳がコートに着く。 そうしてストレッチやランニング、素振りと言ったウォームアップをおえてから、今日は監督の指示によりサーブとリターンの練習になった。俺は鳳とペアを組まされた。鳳のサーブは、樺地を別として氷帝一の威力なので、返球の練習台にはちょうどいい。威力もスピードもあるが単純な球筋のサーブを返していると10球を超えたところで昨日の傷が少し痛みだした。ただ、それほど酷い痛み方でもなかったので何も言わずに指定された30球のリターンをおわらせた。次は交代で俺がサーブを打つ。休憩中にベンチで手のひらを確認したが、少し傷が開いて血がにじんでいた。強引にタオルで滲んだ血をぬぐう。あとは二年同士のラリー練習だけなので、それくらいなら傷も広がったりしないだろうと判断した。 傷が広がらないよう細心の注意を払ってラリー練習をしていたが、鳳の打つ球が重く、思わず俺はラケットを握る手に力を込めてしまった。案の定痛みが走った手に変な力が入り、ホームランを打ってしまい、ラリー練習を一旦中断させてしまった。仕方ないので俺はボールを探しに行った。すると、なんといらないことに鳳までもが俺についてきた。俺は傷が広がってしまった手を隠すように咄嗟に手を握ったがそのせいか血がまた傷口から滴り出す。思った通り鳳は俺の手を見て声を上げた。 「日吉、どうしたんだそれ!血が出てるじゃないか!」 その鳳の声は、練習中のコートに響き渡った。部員たちの目が俺と鳳に向き、鳳の配慮のなさに苛立つ。鳳は無視してコートを包み込む観客席の最上段まで飛んでしまっていたボールを拾い上げると、無視されてもめげない鳳は「救急車呼んだ方がいい?」と大きめの声で問いかけてきた。何でもないから放っておいてくれ、と言おうとした時、 「なになに? ひよC怪我したの?」 ベンチで寝ていた芥川さんがのっそりと起き上がって俺たちの方を向いた。そして、芥川さんは血の跡がある俺の手を見て、 「日吉こんなに練習してんの?!うっわマジマジすっげー!!」と、騒いだ。 「いえ、これはただ……」 「マジかよ若……そんなに練習してんのか?でも無理は激ダサだぜ?」 弁明しようとした俺の言葉に宍戸さんが問答無用で言葉を押し付けてくる。俺は事なきを望んでいたのに鳳の大声のせいで話がどんどん先輩たちに広まり俺は瞬く間に囲まれてしまった。 「自分こんな我慢しとったん?はよ手当せんとひどなるで」 忍足さんはメガネを直しながらニヤニヤと俺を見る。俺は言葉と裏腹に忍足さんが良からぬことを考えていると踏んだ。 「カバちゃん呼んで早く手当してもらうC〜」 芥川先輩は俺の傷口を興味津々に見ているが痛そうに顔を歪めている。痛いのは俺だ。 「俺が樺地呼んできます!日吉はベンチに座ってタオルで止血しててよ!」 そう言って鳳は生徒会室へと勝手に走りだしてしまった。跡部さんがいなくて本当によかった・・・と思ったのもつかの間、鳳が生徒会室へ行ってしまったら跡部さんに伝わってしまう。それだけは避けたいと、俺はタオルで右手を抑えながらベンチから立ち上がった矢先芥川先輩に 「日吉はここでおとなしく座ってるのがいC〜」 と無理やり腕を引っ張られ尻餅をついた。この人は一体何が楽しくて俺を見ながらニコニコとベンチの上で寝っ転がっているのだろうか。俺ははぁ、と深くため息をつきこれ以上事が大きくならないよう望むばかりだった。 程なくして樺地が一人、救急箱を持ってやってきた。てきぱきと処置をしてくれた樺地は、 「今日は、練習しないほうが……いい、です……」 と言う。折角の部活なのに、練習できないのは悔しかったが、これ以上騒がれても面倒だと思ったので、素直に樺地の言葉にうなずいた。まだ他の奴らが練習している間に芥川さんや忍足さんから逃げるように部室まで戻って着替える。後はブレザーを羽織れば着替えが終了すると言う瞬間に部室のドアが開いた。 そこには今一番会いたくなかった跡部部長がいた。そういえば樺地を呼んだ後、一緒に戻ってこなかったが、俺の悪い予感は当たっていたらしい。しかも、跡部さんはコートに置き忘れた俺のラケットを持っていた。ラケットのグリップは少しの血で濡れている。跡部部長は俺を見るなり 「こんなになるまで練習してたのかよ、日吉」と言った。 「違います」と即答してこれはもともと怪我をしていたのだと言ったのに、何故か謙遜されていると思われてしまった。面倒くさくなって「なんで、跡部部長が俺のラケットを……?」と訊くと「忍足に渡された」と答えられた。あの時のニヤニヤした忍足さんの顔を思い出してイラついた。今度絶対報復してやろう。 跡部先輩は生徒会の仕事で遅くなったのか、今頃から着替え始めた。俺は早くに来て逆に切り上げさせられたっていうのに。少しイラつきながらテニスバッグを抱え、右手を開き、軽く握り締める。痛みが右手にピリッと走る。少し動かすだけで違和感がある。早く治さないとな、とバッグを抱えなおすと跡部先輩に不意に呼び止められた。 「日吉、念のため保健室に行け。試合は来月とはいえ、今のうちにレギュラーが練習できねえと使いもんになんねえからな。だろう?」 「……はい。お気遣いありがとうございます」 「フン。お前のその、実際に血の滲んだ努力、無駄にするんじゃねえ」 なにを勘違いしてるんだか俺は小さくため息をついて部室を早々と退室する。 まさかこんな大事になるとは、怪我をした時には思ってもいなかった。というか、なんで誰一人俺の話をきちんと聞いてくれないのだろうか。足取りも重く保健室へ辿り着く。保険医に傷の状態を見てもらい、切り傷用の塗り薬や止血用のシートなどで治療してもらう。誰がどう見ても切り傷なので、少なくとも忍足さん辺りは練習での怪我じゃないことに気づいていてもおかしくない。そんなことを考えていると保健室のドアが開く音が響いた。ふと視線をそちらへやると、マスクをしたが、携帯片手に立っていた。どうやら走ってやってきたらしく、肩で息をしている。いきなりの登場に驚いていると「鳳君からメール貰ったんだけど、大丈夫なの?」ととても心配そうに言われた。 マスクをしてるせいで顔が蒸れたのか、息苦しそうには顔をほてらせている。おまけにゴホゴホと咳までして。やれやれこれじゃあどっちが大丈夫じゃないんだか分かりやしない。 「ああ、先輩たちが物事を大袈裟に取り過ぎたんだ。俺はこの通り大丈夫だ」 は俺の口からその言葉を聞くと安心したのか急に目をトロンとさせてよろめいた。俺は咄嗟にの腕を掴み自分に引き寄せる。するとは相当だるかったのか、俺の胸にもたれかかったがしっかりと受け止めたのでふらつかず済んだ。……熱い。 「こんなに熱があるくせに来るか、普通」 「だって……若がわたしのせいでケガ…」 「……寝てろ。風邪がうつる」 「わか…」 の一瞬の申し訳なさそうな顔を俺が見逃すはずがなかった。ああ、もう皆してうるさいんだよ。の支えていた腕をそのまま上体と膝に回しを俺は持ち上げた。急な俺の行動には驚いたのか腕の上で慌てふためいている。 先ほどまで傷の状態を診てもらっていた保険医に一言かけてをベッドまで抱きあげたまま運ぶ。は具合が悪いのに「じ、自分で歩けるから…」と、俺の腕から逃れようと身を捩った。だが、の訴えは黙殺して、ベッドに彼女の身体を下ろす。ベッドの周りのカーテンを引いて、簡易的な密室にする。恥ずかしそうにベッドに腰をかけたは、熱っぽい瞳で俺を見上げていた。なんだかその瞳で見られていると、相手は病人なのに少し不埒な感情が俺の胸の中に生まれてくる。の瞳を覆い隠すように手のひらで彼女の顔の半分を覆ってみた。 「若……どう、したの?」 いきなり視界を奪われては不思議そうな声を出したが、その声も少し上擦っていた。その声を聞いてより一層不埒な思いが胸の中で破裂しそうになる。 不幸か幸いか、保険医の先生が「職員室に今呼ばれたから日吉君、その子は任せるわね。何かあったら職員室まで来て」と急ぎ足で行ってしまった。偶然にしては出来過ぎたタイミングだろう、と心の中で冷静に考えてる傍ら、俺は心の奥底でほくそ笑んだ。 「…」 「若、先生いっちゃっ…」 誘うような潤んだ瞳のに俺は欲情を隠せず、開いた唇に覆いかぶさるようにして吸いついた。衝動的な動作に驚いたは「んーっ」と声を出したがすぐにおとなしくなる。角度を変えて唇を味わうと、の少し開いた唇に舌をねじ込んだ。の口内は熱のおかげで熱く、激しいキスが情熱を帯びる。互いの舌を絡ませ誰もいない保健室に響く情事の音。しばらくして唇を離すとは息があがっていた。頬を赤くし、目を逸らせる仕草がたまらなく愛おしい。 「はぁっ…風邪、うつっちゃうじゃん……」 ここまでしてそんな事を抜かすコイツもコイツだ。もう一度、今度は軽めの口付けを落として、それから軽く首筋に。少し我慢した分、欲情が蓄えられていたらしい。が形ばかりの抵抗はやめて従順に俺の唇を受け入れるのに興が乗って、その肩に手を置いてそっとベッドへ押し倒す。すると、は流石に慌てたように視線をさまよわせた。それすら愛らしく感じて、の顔の横へ手のひらを乗せると、ベッドがギシっと音を立てた。上から覗き込むようにした俺と、潤んだの視線がからみ――カーテンの向こう側から「日吉、大丈夫?」という声がかかった。鳳のタイミングの悪さに苛立ちながら溜息を一つ吐き、最後にもう一度だけ軽くの唇に触れた。 「続きはの風邪が治ったらな」と囁くように言うと、は熱と先ほどまでの出来事で赤らんでいた頬をさらに赤くした。俺を探しにきた鳳の元へ向かいながら、あんな顔が見られるのならたまには怪我をしてもいいかなと思えてしまった自分に心の中で苦笑した。 |