気持ち急ぎ足でアスファルトを蹴る。駅前に差し掛かったところで、見覚えのある制服と黒い帽子をかぶった人物の、どこか父親じみた、無駄に包容力を感じさせる背中が見えた。部活の先輩、真田副部長だ。見つかれば何を言われるかわかったものではない。そうっとその場から逃げようとした俺の耳に「弦一郎」という涼やかな声が侵入してきた。先輩だ。


パタパタと真田副部長の方へ先輩は慌ただしく駆けていく。先輩はトイレに寄ってたようで、真田副部長はそれを待っていたみたいだ。駅の改札口前で二人を見かけた俺は何だか見てはいけないものを見てしまったような気持ちに駆られ、壁の影に隠れながら二人の動向を見守っていた。って、だからってなんで俺が隠れなきゃなんねーんだよ。そう思いながらも付き合っている、という事しか情報がないあの二人に俺は興味を持ったのだ。駅の改札口を二人は抜けていき、談笑しながらホームへと降りていく。くそ、ここからじゃよく見えない。そういえばあの二人、俺と同じ方面の電車に乗るよな。俺と真田副部長の最寄り駅はひと駅しか変わんないし。ちょっと、追いかけてみっか。ゲームは夕飯後でもできるし。俺は興味津々で二人に気付かれないよう、エスカレーターを駆けて追いかけて行った。


二人に遅れてホームへこっそりと忍び込む。どうやら、真田副部長と先輩はホーム中央に据えられているベンチに座っているようだ。気付かれないように反対側の車線を黄色い線ぎりぎり大回りして、二人の後ろのベンチに腰を下ろした。看板が目隠しになっているので、真田副部長と先輩が、俺がいると確信して覗きこまなければバレないはず。きっと。たぶん。背中合わせの体勢から、少し首をひねって横目で二人の様子をうかがう。看板とベンチの背もたれの隙間からは、先輩がにこにこと真田副部長に話しかけているのが見えた。真田副部長は「うむ」とか「ああ」とか言うだけで、普段よりもかなり無愛想に見える。


だが着目すべきとこはそこではなかった。もう少しよく見てみると、先輩はぴったりと真田副部長にくっついていて、片手が真田副部長の握られた拳の上に置かれていた。真田副部長はそれを別に拒否するわけでもなく、自然と受け入れているようにも見える。俺はびっくりして両目をまんまるに見開いて声を漏らしそうになったが急いで顔を引っ込めて黙った。気づかれたか…?いや、大丈夫みたいだ。二人ともまだ普通に会話を続けている。一見超無愛想だった真田副部長の返答だったけどあんなとこでちゃっかりしてたとは…。俺は見つかるかもしれないというスリル感と、真田副部長らしからぬところを見てしまってすっかり動揺していた。


二人は俺のことなど全く気付かずに、ただただごく普通の会話をしている。その自然さが、真田副部長と先輩にとって、これが日常であることを明白にしていた。下手にキスをしているよりも、二人がとても親密で、お互いがお互いの日常に自然に溶け込んでいる様子だった。一人でほとんど話していた先輩は、途中であくびを一つして真田副部長の肩に、頭を軽く乗せた。真田副部長はやっぱり抵抗しないで先輩を受け入れている。これは本当に俺の知っている真田弦一郎先輩なのだろうか。何故かバクバクし始めた心臓を抑えるために制服のシャツを握ってしまった。


そうこうしている間に電車が来てしまった。乗車するタイミングをずらし、真田副部長と先輩が乗ったドアより2つ離れた同じ車両のドアから乗る。今の時間帯、あまり人がいないからこれくらい離れてても二人の挙動がよく見える。逆に俺も丸見えってことだけど運良くでかい奴が電車の入り口付近に立っていたので、俺は影になるようにその人の傍に立った。先輩たちはガラガラだった座席に座った。先ほどと同じように先輩の手は真田副部長の膝の上だ。


さすがにこの位置からでは二人の会話は聞こえないけれど、先輩しか喋っていないみたいだった。あまり動きもなく、少し観察に飽きてきたところで、先輩は真田副部長から手を離して、隣に置いていた自分の鞄から何かを取り出していた。最初はよくわからなかったが、よく見るとピンク色の本のタイトルには、相性占いの文字が可愛らしくプリントされている。先輩は本の片側を自分で持ち、もう片側を真田副部長に持たせた。


先輩が何やら本のページを指さしている。真田副部長は覗き込むようにそれを見て二人の距離はほぼ10センチメートル。至近距離で顔がすごく近い。本人達はさも当たり前のようにそれをやっていて、見てるこっちが恥ずかしいくらいだ。先輩は何か良い占い結果を見つけたのか、とても嬉しそうに頬を緩める。真田副部長はどうせ占いなんて興味ないんだろうけど、他愛のない占いに喜ぶ彼女を見て、無愛想だった口が多少綻んだ。げげ、真田副部長のあんな表情見たことねえ。意外すぎて俺は飲みかけていたジュースにむせてしまった。……なんつーか、あの人もあんな風に笑えるんだな。


そうこうしているうちにあっという間にいつも降りる駅到着した。けれど、真田副部長と先輩が気になっていたし、どうせ真田副部長の駅は次の駅だから、歩いて移動できる。と、思っていたら、二人は真田副部長の自宅最寄り駅でも降りなかった。二人は更に、次の駅へ到着する直前で立ち上がった。先輩が電車が停止する時の揺れでよろけたのを、真田副部長がとっさに抱き支える。慣れたような真田副部長の身のこなしに、お礼を言った先輩、この二人はもう俺のお腹にはいっぱいすぎる。でもまだまだ見過ごせないと俺がぼやぼや思っていると、二人はとっくに降りてしまっていた。電車のドアが閉まる直前で、俺は転がるように車内から飛び出た。


ここら辺は頻繁に来ない場所だけど、手頃なファミレスとかが俺の最寄り駅よりあるから友達とチャリでたまに来る。だから道を心配する必要はなかった。先輩と真田副部長がエスカレーターで駅から降りていったので、俺も少し間を置いてからエスカレーターに乗る。見失わないように追うのはなかなか大変だ。それにあの真田副部長だ、見つかったらどうなるかとドキドキしてしょうがない。しかし俺は己の好奇心のままに二人を追っていった。商店街の道なりを進むと、商店街を出た所で二人は角を曲がった。少し距離を置いていたからよく分からなかったが、角から二人を覗きみると、手を繋いでいたのだ!それも、恋人繋ぎ。真田副部長も、ここまで大胆なのだったのかと、俺は唖然としていたが、このままだと二人を見失うと思い、距離が空いたのを確認して急ぎ足で先輩たちの後ろについていった。


追いかける対象が恋人でなければ、今の俺はちょっと探偵っぽい気がする。ドキドキしながらも少し楽しくなってきていた。部活では堅物な真田副部長の意外な顔を見れて面白いってのもある。商店街を出てからはグッと人も減って、ばれないように尾行するのもなかなか大変だ。突然真田副部長が後ろを振り向いた。バレたかと思って心臓が飛び出そうになったけれど、そうではなかったらしい。真田副部長は先輩の肩のあたりを軽く払っただけだった。ゴミか何かついていたのだろうか。そんな風に触れ合うことすら当たり前といった風情だ。真田副部長は先程から、ちゃっかり先輩を守るように車道側を歩いたりもしている。住宅街に入って少しすると、二人は一軒の家の前で立ち止まった。


人気のない小路だけに二人の親密度は更に増した。先輩はすぐに帰ろうとはせずに真田副部長の手を握ったまま何やら楽しそうに話している。更に真田副部長のほっぺをつついたり、呆れるくらいイチャついたりしている。これが真田副部長じゃなかったらこんなに驚きはしないんだけどな。しかし、何を思ったのか先輩は急に駆け出し、家に入っていった。俺はもう先輩が帰ったのかと思い、踵を返そうとしたが、バタンとドアの閉まる音がまたした。急いで振り返ると、先輩がまたいて、何やら本を真田副部長に渡している。そのまま二人は玄関の前で立ち話を続けていたが、その間も先輩は真田副部長の手を掴んで指を絡ませたり、指で真田副部長のお腹あたりをなぞっている。真田副部長もたまにさり気なく先輩の髪を撫でたりなど熱々な様子だ。


それからたっぷり十五分は話していただろうか。二人は手のひらの大きさを比べたり、先輩の髪の毛を真田副部長が指で梳いたりとかなり親密な様子で、端的に言うとイチャついていた。部活中は鬼のように眉を吊り上げて太い声で怒鳴りストイックな真田副部長の穏やかで優しい笑顔は、先輩にとっては当たり前なのかもしれないが、俺にとっては未知のもの過ぎて、五回目をこすり六回頬をつねってみた。現実だった。 とうとう話し終えたのか、先輩はちいさくばいばいと手を振った。真田副部長もそれに応えて手を振る。部活の先輩同士でもそんなことしねぇのに。真田副部長はそのまま帰ろうと踵を返したが、先輩はそんな真田副部長の手をぎゅっと握ると、真田副部長の頬にキスをした。自然な流れだった。真田副部長はお返しをするように先輩の唇に普通にキスをする。


俺はそんな真田副部長のキスまでをも見届けてしまって、半ば放心していた。なぜかって、あのくそ真面目のカタブツ副部長が。キス、なんてありえなくね???あの人がキスするとかそれ俺の知ってる真田副部長じゃない。俺は何てものを見てしまったんだと目を丸くしてガン見してたが、なんと副部長が来た道を引き返してきたのだった!俺は来た道の曲がり角にいたのでテニスバッグを引っさげ、全速力で違う小路へと逃げ込んだ。後ろを振り返り、真田副部長が俺とは逆の角で曲がると俺はそのまま裏道を抜けて家へとたどり着いた。あー喉かわいた。あの真田副部長がご機嫌そうに先輩の家から戻ってくるのを見た俺は一体あの光景は本物だったのだろうかとほうけて考えていた。俺はその日新しいゲームをやろうにもどうにもいつものように夜更かしする程熱中できず、早くに布団に入りそして次の日を迎えたのであった。


翌日は、朝から誰かにこの話をしたくてそわそわしていた。母親に、今日は早起きねー、とか嫌味を言われるくらいには早く家を出た。真田副部長が部室に着く前に行けば、誰かに昨日の話が出来る。とにかく急いで向かった部室のドアを力強くあける。そこには、まだ柳先輩と幸村部長とジャッカル先輩しかいなかった。とりあえず、挨拶をしてから昨日の話を事細かに三人に話す。幸村部長は「へぇ……」と機嫌良さそうに聞いて、柳先輩は「興味深い」とか言いながら話を聞いてくれていたが、キスの話になった途端にジャッカル先輩が「おい、いい加減にしないと……」と俺の肩に手をかけた。それと同時に部室のドアが開いた。


「で、先輩の家の前で二人があつーいキスをしてたの俺見ちゃったんスよ!!」


俺はその時部室のドアが開く音が聞こえない程夢中に話していた。ジャッカル先輩が制止しようとしたのも虚しくそれは見事に真田副部長の耳に入っていた。


「赤也…お前のそのバカでかい声が部室の外まで響いていたが、昨日俺たちをつけていたのだと言ったな…」
「は、はい…」


その鬼のような形相の副部長は、昨日目にした光景は本当は嘘だったんじゃないかと疑うほどだった。


「べ、べつに帰り道が一緒だっただけなんス」


俺はその場しのぎの嘘をつこうとしたが、「笑止!!!!」その怒鳴り声で俺は縮み上がってしまった。俺は震え上がっているとジャッカル先輩も顔をヒクつかせながら「さ、真田…そんな怒らなくても…」と言い出したが間髪入れず副部長は怒鳴る。


「ジャッカル、なぜ赤也をかばう!」


キッとジャッカル先輩を睨みつける副部長に、俺は内心ジャッカル先輩に矛先が変わるかな?ラッキーとか思っていたのがバカだった。



「赤也!!何ニヤニヤしている!お前は人の私事を覗くなどそんな悪趣味があったのか!!」
「べ、別にないスケド…」
「大体貴重な休みだというのにそんなくだらんことばかりしてお前は自主練という言葉が頭にないのか!お前にはもっと己を精神的に鍛えることが必要だと俺は思うが、そういうどうでもいいことにかまけてばかりでは…」



と、くどくどと延々と続く説教が始まった。これに部室にいる部員も幸村部長と柳先輩以外は身動き取れなくなってしまい、ビクビクしながら時折相槌を打つ心あらずな俺に真田副部長はしびれを切らした。


「赤也、聞いておるのか?!」


俺は何を思ったのかその時ポロッと一番言ってはいけないことを口にしてしまった。


「そっちが路上でチューなんかしてるのが悪いんスよ…」


その発言は更なる真田副部長の怒りの引き金となり、怒号が部室中に響いた。


ばっかもーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!!!!!!赤也、お前は校庭100周、素振り100回10セット!!!それに部室の掃除一週間だ!!!!!!!
「えーーーーーーーーーーーー?!そんなのってないスよー!!!!」
「やれと言われたらやらんかー!!!!!!」


そして俺は理不尽に叱られ、鬼のメニューとくそめんどくさい部室の掃除を任されたのであった。いくらなんでもこれはないだろ、トホホ。